2017年3月30日木曜日

顔じゃない。

横綱は、横綱らしい姿を見せられなくなったら退くべきだ。
この意見に私は賛成。

上に立つものは、それ相応の働きができなければ退くべきだ。
そう考えると、
やめなければならない、私よりも上の立場の人がかなりいる。

使えない奴だらけだ。

二桁勝てない横綱・大関レヴェルの印象しか残せない管理職なんか、
さっさとやめた方がいい。出る幕なしだ。顔じゃない。

お前が上にいたって、漬物の重しにもならないぞ。

2017年3月20日月曜日

卒業の風景

卒業式も無事終了。
3年生も全員が第一志望校に合格。心配な子もいたけど、めでたしめでたし。
「おめでとう。羽目を外さず、まずはきちんと入学すること。
 そして真面目に頑張って、立派に卒業すること」と子どもたちにはエール。

去年までいた小学校の卒業式も終了。
半年間、教室に入れなかった時間をサポートした子も無事に卒業。
最後の1年はしっかりとみんなの輪の中で過ごした。頑張った。
初めてみんなの輪の中に戻った第一歩は、外へ出かけた写生の時間。
遠くに戻ってくる船の影を見ながら、港の絵を描いていたあの子。
その小さな後ろ姿と一緒に私もその景色を描いた。
「帰る」と名付けたその絵を「完成したらあげるよ」と約束していた。
仕事に忙殺され、さらに職場を異動し、あと一歩のところで未完成だったその絵を、
先日完成させて、卒業式に届けてあげました。
「約束を守ります。この日が君の第一歩だったことの記念です」
担任が記念写真を撮る中、絵を手渡す私と、笑顔のその子の姿を見て、
お母さんは泣いていました。

翌日、休日出勤していた私の所へその子と両親がやってきました。
恐縮するほどの丁重な御礼と、その子から手紙をもらいました。
「私を支えてくれて、ありがとうございました」と見慣れた文字。
当たり前に仕事をしただけなんだけどね。うれしいね。

家族で相談して、島の中学校へは進まないことにしたその子。
これも縁というべきか、選んだ学校は何と私の母校。
そのまま島にいたら、私の勤務校に来たはずだっただけに複雑な表情のその子に、
ユーモアたっぷりに祝福の言葉を贈りました。

「同窓会を代表して、あなたの入学を心から歓迎します。おめでとう!」

2017年3月7日火曜日

27年をこえて。

列車に4時間ちょっと揺られて、学生時代を過ごした街へ久しぶりに出かけました。

前回の記事で書いた通り、大学の恩師の退官記念の集まり。
先輩たちや後輩たちと27年ぶりの再会でした。
3つ上の先輩たちは、こちらがしっかりと覚えていたことに感激していました。
そりゃあもう、3つ上ともなると忘れられませんよ。学生の縦のつながりでは(笑)
そうは言いつつ、こちらも後輩にしっかりと覚えていてもらえてうれしかったりして。

120人ほどが集まった会だったので、みんな次々と先生のもとへと。
話すことができたのはほんの1~2分ほどでしたが、
あの頃と同じように「お疲れさまでした」と言葉を交わせて、少しジンときました。
お酒が苦手な先生は、昔と変わらず二次会の前に消えてしまいました。主役なのに(笑)
当日、たぶん一番遠くから駆けつけたであろう私を見て、喜んでくれたのが何より。

卒業の時に14人いた同期は、今回は私も含めて4人が参加。
久しぶりだからと昔も行った店で三次会。
4人中3人が教頭になっていて、昔話よりは苦労話が多かったかな。
話し足りなくてバーへ場所を移して四次会に。宿に戻ると日付が変わっていました。

学生時代にお世話になった教官4人のうち、これで3人が退官。
残る1人も来年の3月で退官とのこと。1年後は再び、集まりが催される運びに。

学生時代は本当にずいぶんと遠い日のことになったんだなぁと誰もが感じつつ、
来年は声を掛け合って、1人でも多く集まろうと約束して、
あの頃かなり背伸びして飲んでいたウイスキーを4人で飲みほしました。

ある日、ある時を一緒に過ごして、
ただそれだけのことでも懐かしく思えて。

誰もが振り返る機会に恵まれるわけではないこともわかっているからこそ、
唯々、懐かしく、ありがたく思えた3月の雪の日。

2017年3月1日水曜日

先生に会いに。

3月になりました。
ご無沙汰しております。流眺でございます。


大学を卒業して27年になると気付いた先日。
お世話になった先生が退官を迎えるとの知らせ。
当時は「助教授」で、そのうち「准教授」と呼び方が変わって、
いつの間にか「教授」になって。
そうこうしているうちにこっちは「教頭」になって(笑)

変わり者の先生でね。口数は少ない、というか口下手。威厳、まるでなし。
学生にはちょっとなめられていたくらいにして、みんな平気で講義さぼっていた。
いつだったか、その先生の講義に行ったら私ひとりでね。
先生、特段腹も立てずに「せっかくだから」と2人であれこれ実験して遊んだ。

4年になったら研究室の鍵を1人だけ預けられた。
机は一番、大きな机をあてがってくれた。
先生よりも早く研究室へ行き、実験を始めて、
先生が来たら、朝一番で入れたコーヒーを出して。
帰りはいつも私が最後で、先生は早々と「じゃ、お先に」と帰って。
他の学生が研究室で音楽を聴いていると黙ってそれを止めに来て、
私が聴いているときは決してそんなことはなくて。
薬品の営業が来たら、「必要なものがあったら注文しなさい」と言ってくれて。
使い終わったドライアイスは捨てずに、いたずら用に私にくれて。
卒業論文はみんな6,7で私には9をくれて。
結婚式に招待したらきちんと来てくれて、
他の誰の時にもきっと行っていないだろうと。第一、みんな呼んだのだろうかと。
あれはひいきだったのか、かわいがってくれていたのか、
認めてくれていたのか、単に波長が合ったのか。

卒業してからずいぶん経って、小包が送られてきて、
開けると私が書いた卒業実験のデータと論文が入っていて、
「これは君の手元にあった方がいいと思うので、返します」と書き添えてあって。
そんなことしてくれる先生って、他に聞いたことがなくて。

振り返ると、私を無条件に認め、受け入れてくれた人はそんなにいなくて、
先生はそんな数少ない人の一人だったに違いないと。

どちらかというと影が薄くて、他の先生たちの方が人気があって、
今回も「ごめん、都合がつかなくて」という声がいくつも聞こえてきて。
私は決して暇なわけじゃないけど、
ごくごく自然に「行かなくては」と思ったわけで。
これから先、ひょっとしたら会う機会もないかもしれない先生に、
あの頃と同じように「お疲れさまでした」と一言、言いに行こうと。
27年ぶりに一言、言いに行こうと。
積もる話がないわけじゃないけど、無口な先生だからね。


27年ぶりに同級生にも何人か会えそうだ。
会を準備した学生たちは、あの頃はまだ生まれていなかったんだろうな。
気がつけば、そんなに時間が過ぎたのかと少し驚いている。

退官記念の祝賀会は週末の土曜日。
出かけてきます。先生に会いに。