2016年8月30日火曜日

暴風警報発令中

年に3つも4つも台風来るなんて初めてだよ。北海道。
迷走していた10号は島を直撃…とも思ったが…微妙に逸れ始めた。
しかも、なぜか西に。こんなこともあるんだな。

台風も避けて通る流眺。おかげさまで元気です。
今夜は家で大人しく酒でも飲むわ。

…あ、いつものことか(笑)

沖ではたくさんウサギが跳ねてるよ。




…あ、ウサギって言っても海の上にウサギはいませんよ(笑)

2016年8月26日金曜日

旅の感触

島の夕暮れが好きである。
特に、島の西側の海に沈む夕日を、
ただただじっと眺めているのが好きである。
ここで暮らして4年目。夕暮れは日常の中で繰り返されるけど、
何度見てもそれは、私にとって一つの旅である。


35年前。中学の頃、同じ場所を初めて訪れた。
それまでに見た、一番美しい景色を、
静かな静かな夕凪の海を、ただただじっと眺めた。
少し前に立っていた、年上の女性の後ろ姿も、
夕暮れに溶け込んだ景色の様に、ただただじっと眺めた。

見知らぬ人がなぜそこに立っていたのか。
どこからきて、いつからそこに立っていたのか。
何を思ってそこに立っていたのか。
振りむけば、どんな表情をしているのか。
そんなことを一つも考えずに、
夕日に輝く髪も、足元からのびる影も、
呼吸しているかのような海も、ささやくような波の音も、
ただただ美しくて、いつまでもじっと眺めた。

そこにひたすら静かに身を置き、
思いを巡らすほどに言葉少なく佇み、
音を、景色を、空気をありのままに感じた。
何の解釈も、理由づけもせず、
気が済むまでじっと眺めた。
あの日、私は初めて「旅」を知った。
旅行でも観光でもなく、「旅」を知った。



今年の夏、消えゆく駅を訪れた。
雪が降る頃には長い歴史を閉じる駅を訪れた。
皮肉なまでにたくさんの人が訪れていた。
日に何往復かしかない列車の姿を見に、
カメラや携帯を手に、線路の端を囲むかのように人が集まっていた。
それは消えゆく駅に不釣り合いな、非日常だった。

ホームのベンチに腰を下ろし、じっとその様を眺めた。
誰と話すでもなく、思いを巡らせるともなく、じっとその様を眺めた。
列車が去り、潮が引くように観光客は去っていった。
無人駅の喧騒をあしらう駅員2人だけが残るホームを
立ち上がって少しだけ歩き、再びベンチへと戻った。
帰ってきた静寂に、終わりが近づいた駅と町の日常を
ただただじっと私は眺めていた。

何の知識も説明もいらない。
その景色は雄弁に終わりを語っていた。
久しぶりに「旅」をした気分だった。

珍しいものも何もいらない。
ただそこで繰り返される日常に身を置く。
自らの日常と対峙する非日常を、ありのままに、
何の解釈も理由づけもせず、
気が済むまで少しの間眺める。
それは紛れもなく「旅」だった。

旅行でも観光でもないそのひと時は、
懐かしい記憶を連れて、そっと私の中を通り過ぎていった。




2016年8月15日月曜日

五輪観戦記その2

柔道は男女合わせて12個のメダル獲得。
この期に及んで協会関係者から「銅でも立派」といった評価が。
選手が過剰に金メダルを意識したのは世論やマスコミのせいだけじゃない。
そもそもはあなたたちが至上命令を出してたんでしょ…と思ったのは私だけ?
若い監督の涙はそこら辺を暗に語っていた気がする。
それにしても最終日の最終試合は興ざめであった。
松井が高校時代に全打席、敬遠されたの思い出したよ。
ルール違反でなくても、マナー違反だと思う。
勝てば何でもいいってもんじゃない。
「JUDOは柔道と違う」的な解釈で片づけてはいけない。逃げるな、関係者よ。

水泳で結果を残せなかったメダリストの「賞味期限」発言。
そんな弱音は胸の中にしまっておけ。悩み迷っても、誰もが黙って耐えている。
歯を食いしばっている奴に失礼な話だ。覚悟が足りない。
とはいえ、選手を商品的にとらえている輩がいるのは確か。
過剰なメディアでの煽り、演出はその証拠。
そんな意味ではちょっぴり皮肉が込められた失言だった。

男女ともに卓球の活躍ぶりに、見ていて熱くなった。
男子は初のメダル獲得。大したものです。
愛ちゃんがあと一歩で個人戦メダルに届かず。実に残念。
団体準決勝でも惜敗。卓球の神様はずいぶんと意地悪だと思う。
結果はともあれ、卓球の面白さ、奥深さといった本質的な部分を伝えた彼女。
メダル以上に価値ある、次へ続く道を築いてきたのは間違いない。
男子のメダルや、期待の十代選手の登場もその成果の一つだろう。

それはそうと、中国代表ではない、中国人選手の多さはある意味、異常だ。
五輪を国別対抗にする意味がない。帰化選手の出場には制限を設けるべきだ。
ま、日本も某芸人さんが国籍変えて出ているから声高には言えないのだろうが。
他国での代表入りを選択しなければ、生活やステイタスが守られないのだろうか。
純粋に競技者生命を全うしたいという動機があまり感じられない。
あの50代のおばちゃんくらいになれば、それは大したものなんだろうけど。

復活競技のゴルフ。今一つ盛り上がらない感が強し。
長い間、競技から除外されていたのは、それなりに根拠があるのかなとも思う。
アマチュアスポーツの祭典にどうにも馴染まない。
いっそ、プロに参加資格を与えず、完全アマのみでやった方が良かったかも。
中継を見ていても、いつものゴルフ中継と絵面が同じなのもまた興ざめ。
日本選手も散々な結果。この後の商売に影響でないのかな?
それが心配な一線級の人たちが、みんな出場していないのは先見の明あり。

ちなみにカヌー、面白いなぁ。
日本初のメダル獲得もお見事。もっと注目されていい。
競技人口、増えないかなぁ。チャリやバイクで危ないことやるよりも断然支持。
馬術やカヌーって何気に好きなんだけどな。放送してほしいなぁ。
民放さんあたりは、無駄にドキュメンタリー仕立てにして尺を稼ぐくらいなら、
ああいう味のある種目を余計な演出いらないから流してほしいな。

2016年8月9日火曜日

五輪観戦記その1

体操団体の金に感動。
失敗に挫けず、坦々と目指す道を歩んだ結果だ。
強い決意とゆるぎない絆、そして冷静な目と着実な実践。
「情理」の調和の末にたどり着いた勝利は真に称賛に値する。
とにかくそれぞれの演技が美しかった。
優れた技術は常に美しいということを再確認させられた快挙だった。

柔道は3階級で全員がメダル獲得。
金を目指したが力及ばず銅であった選手が口々に語る言葉。
頂点を目指すという点では悔しさが残ったのは頷ける話だが、
時流に対応しつつも、柔道の美しさを守り抜いた点では、
正直に安心し、胸を張ってほしい。
「一本」の見事さでは、日本選手が一番だ。

切磋琢磨の末の水泳のW表彰台も見事。
水泳選手団はこの何大会か、チームとして充実していると思う。
今年現役を退いた名選手の残した財産はやはり大きい。
メダルに届かずとも、自己ベストに迫る、あるいは超える結果の連続。
期待の10代選手の7種目エントリーは少々過負荷な印象も受けるが、
怪我だけには気を付けて、伸び伸びと頑張ってほしい。

惜しくも勝ちを得ることができなかった選手たちの中で、
フェンシングの有力選手の初戦敗退は心に残るものだった。
現役に復帰した雄姿をもう何試合か見ていたかったし、
宿願の金をとってほしいと願っていたが、残念ながらかなわず。
敗戦直後にも関わらず、潔い引退表明に驚き、感動した。
一競技者であると同時に、スポーツ界全体に想いを馳せたコメント。
この人がフェンシングの知名度を高め、道を拓いたことは間違いありません。


「お気持ち」を聞いて。

この人はずっと「覚悟」を持って生きてきたのだと。

生きていく上でのこだわりなど、多くの人が「我がまま」にしていたとしても、
この人はそうできない運命を受け入れ、
されど流されることなく、不確かだったものを自らの歩みで築き上げ、
葛藤すれど、さらけ出すことを恐れず生きてきたのだと。

果たして国の象徴とは何か。
国民統合の象徴とは何か。
方向性は示されども、何をもって如何なる姿にたどり着くのか。
主権者である国民に委ねるのではなく、ともに歩み、追求してきたのだと。

この人の人権と、崇高な歩みに想いを馳せ、
望む道を進ませてあげることが、人の道ではないだろうか。

同時に、この発言は単にこの人の歩んだ道や、身の処し方だけでなく、
国の平和を目指すことと我々一人一人がつながっているという責任のもと、
その象徴を、使命と責任を十分に果たせる人に託す必要性があることを、
明確に問題提起したものではないだろうか。

今後の議論が「譲位」に向けた条件整備に矮小化されることなく、
主権者である我々国民の在り方と真摯に向き合いながら、
その象徴である天皇と皇室の在り方を考えるものとなることを切に願う。

2016年8月7日日曜日

五輪はそろそろ在り方を本気で改めるべきだ。

リオ五輪開幕。
「課外授業」が始まってから4回目の五輪。恒例により雑感を。

開会式の過剰演出はいい加減、もういいのではないか。
選手入場までの前置きは不要。入場もきちんと行進すべきだ。
開会式はやはり厳粛であるべき。今回は「閉会式か?」の感強し。
選手も「選ばれし者」たる自覚と威厳をもって参加すべし。
写真撮りながらの行進や、しゃがみ込んでの開会式参加は恥ずべき態度だ。

次回は東京開催。開会式はぜひとも、質の高い「式典」にしてほしい。
行進曲は派手さは不要。ゆったりとした、厳かな曲調がふさわしい。
かつての東京大会のために作られた行進曲を、厳格なテンポで演奏するも良い。
選手たちには、胸を張って堂々と行進してほしい。
観衆からは、国を超えて温かな拍手が送られる式であってほしい。

競技中の観戦マナーもどうにかならないものだろうか。
リオ五輪の中継を見ていると、飲食しながらの観戦も目立つ。
競技中にも平気でブーイングをする。選手の集中をそぐ、過剰なまでの声援も多い。
残念ながら、地元の方々の観戦マナーがひどく悪い。競技会にふさわしくない。
サッカー観戦と同レベルで、あらゆる競技の会場で観戦をしている。
アマチュアスポーツの競技会であることを忘れてはならない、
北京大会もひどい印象を受けたが、今回もそれに匹敵するマイペースぶりだ。
「国民性」や「価値観」などということで片づけてはいけない問題。
これでは「民度が低い」という批判が生じても当然である。
競技する側にも、応援する側にも「オリンピック精神」は求められるはずだ。
それができなければ、五輪の存在価値などない。

政治や経済を軸に考えていくと、嘘やごまかしが必ず生じる。
国の馬鹿騒ぎの口実にするのももちろん論外だ。
そんなレベルじゃ、あらゆるところに綻びが次々と現れる。
リオ五輪は開催前からそのことを証明している。
身の丈に合わない、本質を見極めない五輪招致は、本当の幸福を招かない。

東京大会はこうした点でも、五輪のあるべき姿を真に追求した大会であってほしい。
「TOKYO」から世界に発信するべきことは、どこぞの政治家が話していることではなく、
熱く激しくも清々しい、スポーツの祭典のあるべき姿ではないだろうか。


追記:そんな中でも真摯に競技に打ち込む選手の姿には実に感動させられる。
    彼らの努力を何かの「手段」にしてはいけない。

2016年8月4日木曜日

炭火焼賛歌

夏の楽しみと言えば屋外での焼肉だ。

BBQだなんて特殊機関の名前みたいに呼ぶな。焼肉と呼べ。
いや、肉以外も焼くから、ここは正しく「炭火焼」と呼べ。

最初からマシュマロを炙る気満々で炭を熾すな。まずは肉だろ。
牛も豚もいいけど、何といっても鳥だ。焼鳥だ。
いきなり牛カルビなんか焼くな、若者よ。脂に引火して一大事だ。
あたり一面煙だらけ。網も煤で真っ黒けだ。
網にじっくりと馴染ませていくなら鳥の脂だ。まずは焼鳥だ。
ポタリぽたりと脂が落ちるから、ほどよい燻煙が立ち上る。
炭火で焼いた焼鳥を手に、冷えたビールを飲まないわけにはいかない。
この組み合わせを知らない人は、人生の半分を損している。

さっと炙ったイカもやめられない。お酒はぬるめの燗でなくてもいい。
気温20度以上であれば迷わずビールだ。
貝や魚も当然焼いてよし。牛や豚も二番手以降ならどんどん焼いてよし。
羊や鹿の肉もまたうまし。味付けラムなら鉄板も用意すべし。
ジンギスカンにうどんの組み合わせはノーベル賞ものだから外せない。
野菜も見捨ててしまわない範囲でつつましく焼くべし。
恥ずかしいくらい笠の開いたシイタケも焼いて醤油をたらそう。
焼きナスも登場した日には言うことナス。嫁にも堂々と食わせよう。
トウモロコシは皮つきで焼いてしまおう。
皮が焦げまくっても大丈夫。向いたら黄色くてツヤツヤの実がこんにちは。
これが本当の焼きトウモロコシだ。
プチトマトにベーコン巻くのって誰が考えたんだ?いい仕事するじゃないか。

大勢でやるのもいいが、一人二人で穏やかにやるのもいい。
大勢でやるなら「祭り」、一人二人なら「癒し」。
私はじっくり食べるなら一人「炭火焼」だ。
みんなでやると、お世話する方にエネルギーを使ってしまう。
みんなで店に行ったり、外で炭火焼するとあまり食べずに終わってしまう。
一人でやる時は七輪がいい。少ない炭で最大限の遠赤外線。
今年は角型ワイドタイプの七輪を買った。サンマも余裕で焼ける。
中が二つに分かれているので、違う火力で焼けるのも魅力だ。

夏の楽しみ、炭火焼でのビール。果たして最高のつまみは何か?
それは、真っ赤に熾き始めた炭火だ。
これからさあ焼くぞ…という前に、じっと炭火を見る。
赤々と熾きた炭の隙間からゆらりと顔をのぞかせる炎。
1/fのゆらぎに癒されながら、一口目のビールを飲む。
ささやかな宴の開幕を告げる、静かな前奏曲のごとし。

夏休みに入り、定時退勤できる日が続いている。
気温も高く、風も穏やかな日は迷わず帰り次第、炭を熾す。
一人「炭火焼」は短い夏のひそかな楽しみだ。


追記:炭火焼好きは寒くても実は炭を熾す。
    真冬だって、その気になれば外で炭火焼する。
    ただし、その時は大勢でやる。一人ではやらない。
    みんなで勢いよく、寒さに耐えながら杯を交わす。
    その様、さながら寒修行のごとし(笑)

月命日の朝に。

情に溺れる者は理を忘れ、
理にしがみつく者は情を忘れる。

情のわからない者に理は語れず、
理のない者に情は伝わらない。

「情理」とは対を成すもの。
さながら光と影のごとく、対を成すもの。



晴れた空を眺めながらコーヒー飲んでたら、アイツを思い出した。

「お前さん、また難しいこと考えてるね」

2016年8月1日月曜日

燃える涙はこぼれ落ち。

「男泣き」と聞いて、真っ先に頭に浮かぶのはいつも千代の富士。
日頃の気さくさ、饒舌さは影を潜め、絞り出すように語った短い言葉。
画面越しとはいえ真の男の涙を見た25年前の引退会見。
大鵬、北の湖に続き、千代の富士までもが逝ってしまった。

強さ、巧さで楽しませてくれる力士が今後現れようとも、
その生き様に胸が熱くなる力士にはもう出会えないような気がする。

日本人横綱の誕生が待望されているが、
本当に待たれているのは、昭和の横綱たちのように、
楽しくも激しく、そして見ている者を熱くさせてくれる力士だ。
そんな意味では、千代の富士は最後の横綱らしい横綱だった。

平成の終わりの足音も聞こえてきた感があるが、
昭和は本当に遠い過去になってしまったんだなぁとしみじみ思う。

都知事選雑感

まぁ、大方の予想通りの結果と言うことで。

「後出しジャンケン」のあのお方は、注文相撲でも負けてしまった力士の感。
手の内を相手に見切られ、あっという間に土俵際。最期はあえなく腰砕け。
敗戦の弁で恨み言をちらつかせる姿に幻滅した支持者も多かったのでは。
ジャーナリストには鋭さと潔さを大衆は期待しているんですがね。
週刊誌ネタも圓楽さんくらいに頭下げちまった方が良かったんでしょうが。
文枝ばりのうろたえようじゃ、江戸っ子は洒落てないと思ったんでしょう。
やめちまった前の知事も似たようなもんでしたから。
何にしても、老醜をさらしたねぇ。この後、どうするんだろ?本業に障るよ。
次の国政選挙で担ぐ政党でもあるのかねぇ。この年とった新人を。

ジャーナリストと言えば、「無双」を気取るあのお方。
政治をわかりやすく伝えた点では功労賞もんだけど、少々飽きられ感が。
この人、選挙番組に担がれだしてからちょっと印象悪くなった。
やり取りが鋭さを超えて、品の無さがどうにもひっかかるようになってきた。
大衆の声を代弁するかのような、上から目線も正直見ていて気持ちよくない。
外野で騒ぐ俄か評論家みたいになってほしくないねぇ。こういう人には。
ジャーナリズムの本質は「監視」ではない。「伝える」こと。
真実を見つめる視点と必要性の多様さを「提起」すること。
判断する主体はあくまでも我々の側にあることを忘れちゃいけない。
それを忘れちまうような「煽り」を、こういう才能ある人にさせちゃいけない。
仕事選んでほしいなぁ。
ま、選挙に立候補しなかっただけ、実にまともですよ。立場わかってる。

知事経験のあったあのお方。
実務経験よりも後ろ盾が目立ってしまったのが運の尽き。もったいなかったねぇ。
この人負けたのは、ホント後押しする人たちの責任。
「引き締め」だなんて「締め付け」以外の何ものでもない。
どこぞの組じゃないんだから。

その他大勢はこの際、どうでもいいや。選挙は参加することに意義はないぞ。
むしろ、お前さんたちの参加に「異議」ありだ。
実績と支持者をきちんと増やしてから、手をあげなさい。

2回連続次点だったあのお方は立候補見送り。
この人、出ないこととその後の対応で姿勢の一貫性を示したかも。
今回の選挙で一番「負けていない人」はこの人だって、みなさんお気づきかな?

とどのつまり、消去法で決まった今回の都知事選。
投票率が上がったことがせめてもの救いかな。
決まったお方はぜひ頑張って。
「グリーン」もいいけど、「クリーン」な都政をお願いしますよ。