2016年6月28日火曜日

選挙権

18歳は早いと思うけどな。個人的には。
「暮らし」や「社会」というものをまだ表面的にしか知らない。

毎月お金を稼いで、毎月使っていくということ。
生活に十分なお金を稼ぐのは簡単ではないということ。
周りの人たちが、それぞれにいろんな事情を抱えているということ。
仕事と仕事がつながりあっていること。
会社がいろいろな背景を抱えていること。
好みや適性だけでは働いていくことができないということ。
メディアは社会の縮図であるということ。
子どももまた社会の縮図であるということ。
男女の間には越えられない、越えてはならない壁があるということ。
教育や福祉には厳しい現実があるということ。
行政の人たちだって、決して机の上だけで仕事していないということ。

いろんなことを実感して、そこで生きる覚悟を持って。
「責任」って、そうじゃなきゃ生まれてこない。
「票の重み」って、数量的に考えるだけじゃいけない。
質的な重みを考える時、選挙権年齢の引き下げは決して賢い選択ではない。



ちなみに。

来週に迫った参院選。ここらの地域は投票率、低いだろうな。
だって、中体連の大会ぶつかってるもん。みんな行くよ。応援に。
島民はかなりの数、陸に上がっちゃいます。留守です。
私はちゃんと期日前投票行きますけどね。
みんなどうかな。

暮らしや社会が変わるという期待感。
約束の行方が分かる透明性。
何をしてくれるのか、何をしなければならないのかがわかる明解さ。
信頼するに値する政治家としての専門性と清潔性。
それが本当に伝わってこなければ、忙しい合間を縫って投票には行かないと思う。
仕事や家事を30分休んで出かけるのだって、実は大変なこと。
本当に重みのある票を集めて、民意を問いたいのならば、
選挙権年齢を引き下げる前にやらなければいけないことって山ほどあるよ。

年寄りと子どもを大切にするのは世の常。
でも、そのどちらも支えているのは私たちの世代。
今元気であるべき「大人」だということを政治の世界は忘れてほしくないな。




2016年6月26日日曜日

こちらも離脱

イギリスがEUにサヨナラするようですが。

私はIEにサヨナラしました。
このところどうにも動きが悪い。今月末に入ってから特に。
OSの強制切り替えというか、だまし討ちのようなやり方に批判集中のMS。
7や8から強引に乗り換えさせようとしている「10」からは別物が標準装備とか。
わざと動作性が悪くなるような更新をして、誘導してるのかと思うくらいの腰の重さ。
こりゃ潮時と考えて、クロちゃんに乗り換えました。
狐さんも以前は仕事で使っていて、どちらにするか迷ったんですけどね。
クロちゃんに変えたら、サクサクっと動いてくれるので快適です。


2016年6月10日金曜日

信頼

島のあちこちに点在する集落ごとに、小さな小さな神社がある。
6月に入り、短い夏の訪れとともにそれぞれの神社でお祭りが行われる。
往時は神輿が練り歩いたり、芸能発表があったりと賑やかだったそうだ。
今では島で一番の神社の祭り以外は、お詣りの後で直会がある程度の簡素なものだ。

いつも祭りの案内が届くはずの集落から便りがないと話題となった。
前の学校では案内がなくても(あっても大概ギリギリに届く。慣例だから説明不要なのだ)、
こちらから予定を確認して御神酒を納め、お詣りと直会に顔を出していた。
向こうも学校はきちんと顔を出してくれるという信頼があったと思う。
今度の学校での対応を確認すると、案内があった所へは対応をするということ。
昨年からそう「線引き」をしたという話だ。
便りがないことをあれこれと話しても埒が明かないので、足を運ぶことにした。

自治会長のもとを訪れると、家の脇からカンカンと何かを叩く音。
呼び鈴を押す前にのぞき込むと、以前から顔見知りの会長がいた。
自家製の糠ボッケを試食しようと、叩いて柔らかくしていたところだった。
挨拶を交わすと2本持っていたホッケの1本を「ホレ!」とさしだしてくれた。
出来立ての糠ボッケをそれぞれ手に、外で立ち話。
祭りの予定について尋ねると、例年通りの段取りを教えてくれながらこう一言。
「いつも学校に気ぃ使わせるから、今年から案内ださなかったんだ」
『いやいや、気ぃもなんも、いつも世話になってるから、今年もお詣りさせてください』
「いや、なんも来てくれるのは大歓迎だ!」
そう言って、自治会長は笑ってくれた。
「これも持ってけ」と帰り際に、もう1本の糠ボッケも私にさし出した。

前の学校にいた頃からのつきあいだから私にはわかった。
遠慮しているような口ぶりだが、「線引き」をするような学校の姿勢が見抜かれていると。
どこからか話が伝わっているにも違いない。田舎はそういうところに敏感だ。

古くから学校の営みは地域の営みとともにある。
島の学校は昔は春の漁が忙しくなると「生業繁忙休業」というのがあった。
1週間、学校を休みにして、家業を手伝うのだ。
漁師の子でない子も、近所に出向いて手伝う。先生たちも。
代わりに学校で何かあれば、今度は地域が物心両面で支援をしてくれる。
そんな時代を経験している人たちが年をとって、今の島の暮らしを支えている。
学校は地域の中にあり、地域とともに歩み、住民同士の横のつながりと、
子どもを育て、今と未来を縦につなぐ要として彼らとつながりあってきた。

その信頼が崩れかけている。

愛想なしのヤツをあれこれと言い続けるような野暮なことはしない。
それなら、こっちも無理して付き合わないというドライさが浜の人間の気質だ。
情には厚い。情は何よりも大切にするが、それで互いを縛りあわない。
(私も浜育ち。案外そういうところがある)
それをわからずに、地域が示した「遠慮」を「心離れ」ではなく「配慮」と勘違いしたら、
そんな馬鹿な学校に未来はない。

仕事の合間を縫っての対応だから、時間にも制約がある。
直会で毎度酒を…というわけにもいかないだろう。
だけど、可能な限りは地域とつながっていこうと思う。当たり前のこととして。
「線引き」なんて関係ない。人のつながりはそんなものではない。
「だから流眺さん、ここの学校に来たんだな」と地域の人には感じてもらおう。



糠ボッケは島ならではの味わいの一つ。
焼いて食べるのが一般的に知られているが、皮をむいてそのまま食べるのも格別だ。
島の名物を肴に、今夜の会長さんは何を思って一杯やっているだろうか。
そんな思いでつながりあいながら、私も家で一献傾けた。
糠ボッケはかみしめるほどにいい味がした。