2016年4月30日土曜日

絶対に言わない。

よくある言い回し。


「縁あって、この度こちらに…」


ホント、よくあるでしょ。赴任のあいさつに。
我々の業界では、お便りや懇談会でまであいさつにこの言い回しを使う人多数。
私、今では絶対に使いません。このセリフ。


親や子どもは担任を選べません。先生を選べません。
先生方は校長や教頭を選べません。(私立には公選で…という所もあるけど極少数)
校内の分掌リーダーだって、最終的にはトップの判断ですよ。


だから決める側には責任があるんです。
決まった人には覚悟が必要なんです。
役割は、その時々のベストメンバーで組む必要があるんです。
これは、「縁」なんて偶然じみた言葉で片付けてはいけないんです。


一か月たって、学校の抱える課題が明確に見えてきました。
希望とやる気に満ちた若手や、大変な時代を支えてきたベテランの苦悩にも触れました。
「いや~流眺先生…」と、地域の本音も聞こえてきました。


車で10分の異動が決まった時から、私の中には覚悟がありました。
だから私は絶対に言いません。「縁あって、ここに来ました」なんて。


若手の苦悩をひとしきり聞いた深夜の職員室で、こう言ってあげました。
「だからここに来たんだよ。こういう所ばかり回ってきたから、心配いらないよ(笑)」




さて、絶対言わない言葉の代わりに、読者のみなさんにはおなじみのセリフを一つ。


―「本物の学校」づくり、スタートです。―

2016年4月19日火曜日

願う。

季節はずれの雪が積もる北海道から、被災地のみなさんへ。
心より御見舞い申し上げます。
一日も早く余震が落ち着きますように。
復興・復旧までの道程は遠いこととは思いますが、
ここでできることををしっかりと果たしながら、
みなさんのこれからを応援しています。

多くの被害、犠牲も現実としてありますが、
阪神淡路や東北の経験が教訓として生きている面も感じます。
施す側の一方的な感情による支援への警鐘がある点も共感できます。
現地の人たちの自主自立を真に支援する、息の長い助け合いを。
偽善は所詮、偽善です。自己満足です。
被災者の「日常」がどうか帰ってきますように。

2016年4月4日月曜日

竹輪賛歌

竹輪最高。
煮てよし、焼いてよし、炒めてよし。
練り物の傑作、竹輪。
竹輪天なんて、誰が考えたんだろう。
ゲソ天、竹輪天とうどんの組み合わせは魔性の旨さ。
そのまま食べてると、旨味の向こうに海の記憶。
これにマヨネーズかけるなんて、ノーベル賞もの。
パンに挟んで竹輪パンなんて、まさにコロンブスの卵。
キュウリにチーズ、何でも受け入れる竹輪の穴。
穴の向こうに幸せな顔が見える。
一人しんみりと飲む酒の供にもちょうどいい。
嗚呼、竹輪よ。
今宵も私のそばにいておくれ。
竹輪の友でいておくれ。

2016年4月3日日曜日

「あさが来た」の好演出

高視聴率のうちに終わっちゃいましたね。
キャスティングの妙もあり、楽しめるドラマでした。
ずっと見ていて気がついたことが一つ。

それは臨終の瞬間を描いていないということ。

多くの登場人物が亡くなってますが、ただ一人として描いていない。
よくある臨終の瞬間そのもので涙を誘う演出をしていない。
亡くなる瞬間ではなく、亡くなった後に視点を向けている。
喪失感が静かに心に届く演出だと思うんですね。

人が死ぬという事実を露骨に見せる安っぽいドラマが多い中、
隣人の死が日常であることを静かに扱った好作品でした。

2016年4月2日土曜日

おうしゃんびゅう。

今度の学校は坂の上にある。
住宅も坂の上にある。
職員室からも、住宅の窓からも、
隣の島が良く見える。
絶景かな。絶景かな。