2016年8月7日日曜日

五輪はそろそろ在り方を本気で改めるべきだ。

リオ五輪開幕。
「課外授業」が始まってから4回目の五輪。恒例により雑感を。

開会式の過剰演出はいい加減、もういいのではないか。
選手入場までの前置きは不要。入場もきちんと行進すべきだ。
開会式はやはり厳粛であるべき。今回は「閉会式か?」の感強し。
選手も「選ばれし者」たる自覚と威厳をもって参加すべし。
写真撮りながらの行進や、しゃがみ込んでの開会式参加は恥ずべき態度だ。

次回は東京開催。開会式はぜひとも、質の高い「式典」にしてほしい。
行進曲は派手さは不要。ゆったりとした、厳かな曲調がふさわしい。
かつての東京大会のために作られた行進曲を、厳格なテンポで演奏するも良い。
選手たちには、胸を張って堂々と行進してほしい。
観衆からは、国を超えて温かな拍手が送られる式であってほしい。

競技中の観戦マナーもどうにかならないものだろうか。
リオ五輪の中継を見ていると、飲食しながらの観戦も目立つ。
競技中にも平気でブーイングをする。選手の集中をそぐ、過剰なまでの声援も多い。
残念ながら、地元の方々の観戦マナーがひどく悪い。競技会にふさわしくない。
サッカー観戦と同レベルで、あらゆる競技の会場で観戦をしている。
アマチュアスポーツの競技会であることを忘れてはならない、
北京大会もひどい印象を受けたが、今回もそれに匹敵するマイペースぶりだ。
「国民性」や「価値観」などということで片づけてはいけない問題。
これでは「民度が低い」という批判が生じても当然である。
競技する側にも、応援する側にも「オリンピック精神」は求められるはずだ。
それができなければ、五輪の存在価値などない。

政治や経済を軸に考えていくと、嘘やごまかしが必ず生じる。
国の馬鹿騒ぎの口実にするのももちろん論外だ。
そんなレベルじゃ、あらゆるところに綻びが次々と現れる。
リオ五輪は開催前からそのことを証明している。
身の丈に合わない、本質を見極めない五輪招致は、本当の幸福を招かない。

東京大会はこうした点でも、五輪のあるべき姿を真に追求した大会であってほしい。
「TOKYO」から世界に発信するべきことは、どこぞの政治家が話していることではなく、
熱く激しくも清々しい、スポーツの祭典のあるべき姿ではないだろうか。


追記:そんな中でも真摯に競技に打ち込む選手の姿には実に感動させられる。
    彼らの努力を何かの「手段」にしてはいけない。

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