2016年8月26日金曜日

旅の感触

島の夕暮れが好きである。
特に、島の西側の海に沈む夕日を、
ただただじっと眺めているのが好きである。
ここで暮らして4年目。夕暮れは日常の中で繰り返されるけど、
何度見てもそれは、私にとって一つの旅である。


35年前。中学の頃、同じ場所を初めて訪れた。
それまでに見た、一番美しい景色を、
静かな静かな夕凪の海を、ただただじっと眺めた。
少し前に立っていた、年上の女性の後ろ姿も、
夕暮れに溶け込んだ景色の様に、ただただじっと眺めた。

見知らぬ人がなぜそこに立っていたのか。
どこからきて、いつからそこに立っていたのか。
何を思ってそこに立っていたのか。
振りむけば、どんな表情をしているのか。
そんなことを一つも考えずに、
夕日に輝く髪も、足元からのびる影も、
呼吸しているかのような海も、ささやくような波の音も、
ただただ美しくて、いつまでもじっと眺めた。

そこにひたすら静かに身を置き、
思いを巡らすほどに言葉少なく佇み、
音を、景色を、空気をありのままに感じた。
何の解釈も、理由づけもせず、
気が済むまでじっと眺めた。
あの日、私は初めて「旅」を知った。
旅行でも観光でもなく、「旅」を知った。



今年の夏、消えゆく駅を訪れた。
雪が降る頃には長い歴史を閉じる駅を訪れた。
皮肉なまでにたくさんの人が訪れていた。
日に何往復かしかない列車の姿を見に、
カメラや携帯を手に、線路の端を囲むかのように人が集まっていた。
それは消えゆく駅に不釣り合いな、非日常だった。

ホームのベンチに腰を下ろし、じっとその様を眺めた。
誰と話すでもなく、思いを巡らせるともなく、じっとその様を眺めた。
列車が去り、潮が引くように観光客は去っていった。
無人駅の喧騒をあしらう駅員2人だけが残るホームを
立ち上がって少しだけ歩き、再びベンチへと戻った。
帰ってきた静寂に、終わりが近づいた駅と町の日常を
ただただじっと私は眺めていた。

何の知識も説明もいらない。
その景色は雄弁に終わりを語っていた。
久しぶりに「旅」をした気分だった。

珍しいものも何もいらない。
ただそこで繰り返される日常に身を置く。
自らの日常と対峙する非日常を、ありのままに、
何の解釈も理由づけもせず、
気が済むまで少しの間眺める。
それは紛れもなく「旅」だった。

旅行でも観光でもないそのひと時は、
懐かしい記憶を連れて、そっと私の中を通り過ぎていった。




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