2016年2月9日火曜日

笑いの本質

少し前にサン=サーンスの「動物の謝肉祭」をTVで見た。
海外のオケの演奏で、曲間にナレーションが入る演出がなされたもの。
私も同様の演出で演奏した経験があり、興味深く見たが、これが実に興ざめする出来。
オケもソリストもリラックスしたいい演奏。悪いのはナレーション。
アメリカン・ジョーク満載でナレーションが構成されているのだ。
会場は大いに沸いているが、この感覚、神経は理解しがたいものがある。
この曲はいろんな曲のモティーフが転用された、ユーモアあふれる曲なんだけど、
そんな微笑ましさをぶち壊す不釣り合いな、悪趣味なナレーション。
やはり私はアメリカン・ジョークが嫌いなんだと改めて実感。

皮肉や風刺はいつの世も笑いの背景の一つだけど、そこに「粋」がなくちゃね。
相手を傷つけて、貶めて、自分が浮かび上がる笑いじゃなくて、
「どうしようもなさ」の中に、「実は私も同じなんだよ」っていうささやきがあって、
小さなものが大きなものを笑いながらも、どこかにつながりあっていたい思いがあって、
そんな優しさが根底にないと、言葉は刺々しさしか連れてこない。
談志は「落語は業の肯定」と一時期語っていたのは、実に本質をついていると思う。
他人のどうしようもなさを蔑んで、自分を愛するんじゃなくて、
他人のどうしようもなさを眺めながら、どうしようもない自分を愛する。
互いに幸せな気持ちになれなきゃ、本当の笑いなんて生まれない。

だから私はアメリカン・ジョークが嫌い。

あ、日本人でも嫌いな芸風、いっぱいありますよ。
他人をいじり倒すだけの芸はもちろんのこと、自分が楽しいだけの芸も嫌い。
「笑い」って「共生」の一つの形だと思うんです。


0 件のコメント: