2018年3月18日日曜日

もう一度。

地域の顔役が集まるいつもの飲み会。
会員の一人である、銀行の支店長が異動ということで昨夜は送別会を催した。
湿っぽさはまるでなし。馬鹿話に花が咲くいつも通りの飲み会。
私と自治会長のやりとりは「かけあい漫才」と遂に評された。
お銚子が次々と空になり、一升瓶も2本ほど転がった。
瓶も転がるが、一同転げ回って笑い合う。昨夜は三次会まで陽気に飲み明かした。

「教頭は動かないのか?」
「学校の異動、いつ発表よ?」

ギリギリ情報解禁日前だったので話をはぐらかす。
みんな知ってか知らずか、曖昧な返事に付き合ってくれる。








島を出ます。


島民から村民になります。
次の学校は地域との関係づくりが課題だそうです。
私にはいつも何かしらの「使命」が待っています。









酔いのせいにして口を滑らせてしまえば、一緒に送別してもらえたけど、
もう一度。もう一度だけ、この人たちと飲みたいなと。


「さっさと言わねぇから、送別会2回もやることになったべや」

そんな文句を肴に、もう一度、馬鹿みたいに陽気に飲みたい。
島との別れまで、あと2週間。

2018年3月4日日曜日

どもならん。

「この人なら、ホントどもならん」

1月に来た校長と、地域の顔役が集まる飲み会に出かけた。
多少緊張がほぐれ始めた校長に、顔役たちが私を指さして口々に話す。
酔いも回った場が爆笑に包まれる。「ホントどもならん」と同意の声が上がる。
私はと言うと、一向にビンゴが当たらないので、会長の禿げた頭を撫でながら、
「ご利益御利益!」と願掛けをしている。会長と私の絡みは今や会の名物だ。

「どもならん」は察しの通り「どうにもならない」の意味。
標準語で近い表現を探すなら「お手上げだ」って感じかな。
絶望よりは脱帽。ある種の賛美をこめて使われる浜言葉。

「この教頭ならワヤだ。ホントどもならん。でもなんか好きなんだよなぁ」



みなさん、本当にありがとう。涙出るよ。


「どもならん」って、そんな気持ちにさせられる言葉なんです。

そだねー

「そだねー」って確かに使う。

カーリングでも話題になったあの感じは、正確に言うと相手への信頼に満ちた同意。
しかも、期待に気持ちが揚がっている時に、あの「そだねー」がでる。
これが多少考える所はあるけど同意…となると「そーだねー」になる。
適当に話を合わせながら同意…では「んだねー」に。

北海道は広いから、北海道弁といっても地域によって微妙に違う。
「そだねー」は浜言葉。山間の地域ではあまり使わない。
浜によっては「そだな」「だな」も多い。「んだ」も割とある。

仕事でかかってきた電話のやり取りで「そだねー」を自然に使った私を、
横でカミさんがゲラゲラ大笑いして見ていた。「ホントに使うんだね」って。
ちなみにカミさんは山の育ち。私は浜育ち。
島の言葉は当然浜言葉。私にはとても心地よい。


2018年2月22日木曜日

今頃になって。

ツイッターを始めた。

長い文章を綴りたい時はブログ。
短く、ぼそっと書きたい時はツイッター。

1人でも多くの人に発信したい時はツイッター。
気づいてくれた人が、じっくり読んでくれればいい時はブログ。

パソコンを起動するのが億劫じゃない時はブログ。
タブレットで手っ取り早く済ませたい時はツイッター。

一丁前に使い分けています。
今頃、手を出したくせに(笑)




職場の若手の成長ぶりが眩しく見える今日この頃。
別れの3月を前に、うれしくも切ない。


上司が変わって、本当に職場が生まれ変わった。
信頼できるトップの存在は重要だと改めて実感。
リーダーがしっかりと責任をとって、初めて
若者は失敗を恐れずに、自在にチャレンジする。
こんな職場にもっと早くしたかった。


2018年2月14日水曜日

ぷれいばっく

昨年末の演奏会のDVDが手元に届く。
我ながら、いい表情をしている。演奏も悪くない。

また1年頑張ろう。
楽しい音楽の時間がやってくるのを心の支えに。



2018年2月5日月曜日

引き際

僕らはバブル世代ですよ。
新人類だなんて言われもしましたね。
円高ドル安で、景気も良くて、破天荒で我慢を知らない世代みたいに言われましたよ。

でもね、

そうだったかもしれないけど、僕らだって、それなりに苦労はした。我慢もしてる。
病気だって、介護だって、不景気だって、何だって、いろいろ経験している。
バブル世代はたまたま出会ったその空気の中でずっと暮らしてるわけじゃない。

女子アナブームの先駆けだった人が亡くなりましたね。
詳細はともかくとして、52歳ですよ。朔翁は50歳です。たった2つ違い。
華やかに時代を彩ったかもしれませんが、フリーになって、結婚、離婚して、
子育てもして、病気もして、生活で幾多のチャレンジもあって、
それなりに波乱万丈ですよ。山あり谷ありですよ。
注目される立場だけに、一人抱えた悩みもあっただろうし。

別に知り合いでも友達でもありませんよ。
でも、これってなかなかショックなんです。
画面の向こうとこちらみたいに思っていた人にも、
自分とそう違わない生活があって、その中で命の終わりと向き合ったりして。
自分も一つ間違えたらそうなんですよ。
終活だなんて近頃は気取る人いるけど、そんなもんじゃない。そんな軽いもんじゃない。


「ただいま臨終!この厳しい覚悟に耐えられずして、どこに人間の勝負があるか」


大層なことはできないですけどね。
でも、「今日終わってもいい」という潔さというか、力のこもり具合は
心のどこかで目指していたいとも思うわけです。

2018年2月2日金曜日

不惜身命

改革とは、幾度となく倒れ、歩みを止められようとも、
両の足で地を踏みしめ、戦いをやめない心の在り様。人の生き様。



貴乃花の目はずっと遠くを見ている。現役時代も、今も。
混迷続く協会の理事選挙に彼は立つ。劣勢を伝える声も多い中、彼は立つ。
覚悟の先に今、彼は何を見るのか。

何もしなければ、何も変わらないことを誰もがよく知っている。
現状維持が、時に心地よささえ錯覚させることも。
でも、何も変わらないことは誰も傷つかないことではない。
変えなければならない現実を前に、何もしないということは、
誰かを傷つけ続けるということを、誰もがよく知っている。

知っているがゆえに、彼は立つ。彼は動く。
誰もが気付いていることが、どこかに埋もれてしまわぬように。
為すべきことが埋もれていくことに、誰もが思考停止してしまわぬように。

正に「一石を投じる」のだ。

投じた一石が流れを堰き止めずとも、
投じた一石が流れを変えずとも、
投じた一石が起こした波紋は方々へとゆっくりと広がる。
広がりを信じて、彼は一石を投じる。

チカラビトが真に鍛錬の発露を競い合い、
土俵を中心に人が集い、互いにつながりあう。
相撲が人々の安寧を願う、素朴で尊い営みであり続けるために、
広がりを信じて、彼は一石を投じる。

真っ直ぐに人と相撲の行く末を見据えて、彼は一石を投じる。




私は、その真っ直ぐな生き様に感動する。ただひたすらに感動する。